証券会社の悩みどころ
せっかく利用できる余剰資源を無駄に放置し、何も作らず歯を食いしばって耐えていれば、政府の金庫という面からは明るい未来でも、国民にとっての社会資本という面では暗い未来なのである。
高齢化社会が近付いているからこそ、いま余剰労働力があるうちに、高齢者用の設備を充実した方がいいのである。
お金は社会的にはただの紙であるのに対し、物は実際に役に立つ。
高齢化社会に設備は不足しているが、皆の懐にはお金だけが一杯あるというのが、はたして本当に幸せなのであろうか。
さらに、実際には、ここで指摘したように、政府の財政状態がよくなったからといって、国全体の懐具合とは何の関係もないのである。
物よりもお金という拝金主義的な発想は、何もO蔵省や与党自民党だけが持っているのではない。
野党もこぞって同様の発想から来るキャンペーンを展開している。
減税キャンペーンである。
ようするに、与党も野党もこぞって、お金さえばらまけば、皆を幸せにできると思っている。
ここにも物とお金の逆転がある。
人のお金に対する崇拝こそが、バブルも不況も起こしている。
個人個人にとってはお金があれば確かにほしい物が買えるから、拝金主義も仕方ないが、政府やO蔵省までが、自分で刷ったお金を無闇に崇拝しているのでは、話にならない。
昔奈良興福寺の猿沢の池で法師が、竜が出るという立て札を出して人を驚かせ楽しんでいた。
ところが、あまりに大評判となったために、当の法師もひょっとしたらと思うようになり、ついには自分でも竜が飛び出すのを見たような気になってしまったという話がある。
自分で刷ったお金を崇拝してしまう政府は、自分で創作した立て札を信じてしまうこの法師を、笑えるであろうか。
から左に回すだけであるため、純額では、お金をばらまくことにすらならない。
官僚バッシングから生まれるもの不況は金持ち願望から起こる拝金主義によって起こっているにもかかわらず、構造的な欠陥のせいだと考える社会的風潮は、悪者探しとなって現れる。
いままで通りやってきたのにこんなにひどい目に遭うのは、きっと誰かが悪いことをしたからで、そういう者はたたけばたたくほど世の中がよくなるというわけである。
あるいは、誰か悪者を決めなければ、腹の虫がおさまらないのかもしれない。
何やら、50年代初頭のアメリカのマッカーシズムや、60年代から70年代にかけての中国の文化大革命すら思い起こさせる。
証券会社のココだけの話をしましょう。良い意味で証券会社とは別物です。